日本の志士の話 (近藤 勇に関する言い伝え)
近藤 勇は板橋の刑場で処刑され、首は、晒し者にするため、京都に運ばれました。
近藤の家族(多摩在住)及び、門弟は、板橋に埋葬された遺骸を夜陰に乗じて密かに掘り起こし、運び出しました。
三鷹の龍源寺に埋葬するためです。
板橋から休憩もせず、足を速めて大八車に乗せて運んできたのですが、追っ手の姿も見えず、又、となり村まで来たという安心感からか、久我山稲荷神社下で休憩を取ったそうです。
馬には当時あった、水のみ場で水を飲ませてやりました。 馬も人も、そうとう緊迫していたでしょうが、三鷹に近い香りの水を飲み、
恐らくつかの間 ホッとしたことでしょう。
寸時の休憩をとってから、宮下橋を渡り、人見街道を三鷹に急いだようです。
◆後日談
上記の話は実は久我山以外で聞いた話だったのですが、先日、久我山の長老が同様の話をしていた、という話を聞きました。
その話では、神社下から今の人見街道に入ったとこのあたりに明治のころまで馬の水飲み場があり、そこの持ち主だった人の話として残っているそうです。
正確な場所はどこであれ、板橋から久我山稲荷神社近辺まで一目散に走ってきて、そしてやっと休憩を取ったというのは間違いないようです。